モダンって、いったい何だろう!?

「modern」を辞書で調べてみると「現代的な」「近代の」と出てくる。そして、それはしばしばよい意味合いで使われるという。

モダンと呼ばれるモノは、さらに、シンプルとか、ミニマルだとか、ムダを削ぎ落とした....などと表現されているのをよく見かける。そのモノたちはモノ自体に装飾がほとんどないため、パッと見、面白味に欠けるように感じる。

ところが雑誌、書籍等での評価を見てみると、説明がやたら長々と書かれているではありませんか。共通して語られる内容もあれば、独自の視点を論じているものもある。

モダンなモノたちは何も語らないのに、論じる側が勝手に意味を加え、新しい解釈を与え、そしてその言葉が人に伝わっていく。まるで真っ白なノートに通りかかる人が何か書き込んでいくように。

自由気ままに絵・文字で埋め尽くされたノートは最初とはまったく違うものとなり、他とは代え難い新しい価値を創造する。

モダンとは、モノ・デザインをノート代わりに自分の考えを持つことではないだろうか!?

モダンとは、真っ白なノートに向かい、思い思いに自分の考えを書き込んでいくことではないだろうか。ノートが、椅子、テーブルなどのプロダクトやグラフィックデザインや建築物や生活スタイルに代わったとしてもそれもまた同じ。

そして、その様々な考えが目に見えないカタチとなり、人々はそれを感じてモダンでカッコイイとか、シンプルで素敵とか思うのだろう。つまり、そこに込められた考えに共感してモダンと感じているのだろう。

モノ・情報に溢れたこんな時代だからこそ人は自分の考え、自分なりの解釈を持てるよう努力しなくちゃいけない。そんなこともモダンには隠されているのかもしれない。

モダンっていったい何だろう、まだまだわからないことだらけ。モダン探しの旅は始まったばかり。だからモダンファイブでは、音楽を聴く、映画を観る、本を読む、買物に行く、散歩する....まずは特別じゃない日常生活からモダンについて考えていきたいと思います。

Ken Ono, 2003