| think | 2011年4月9日(土)

眠るまち クラシキ

text_Ken Ono

学生時代にここ倉敷を離れ、また戻ってきたのが数年前。まず思ったことが、夜は暗いということ。星がきれいだということ。街が眠っているということ。

その感じ方は、数年経った今でも変わらない。確かに時代の流れか、街としての進化はめざましい。大きなショッピングセンター、大きなマンション、大きな道路と整備され都市化はますます進む。

まちの都市化は時代のなかの自然な変化で、生活者としては清潔感とともに目新しさに触れ、利便性を享受できる。その反面、思い出の場所が次第に減っていき、ちょっとした虚無感に浸ることもある。

倉敷の都市化はますます進んでいくが、夜暗いという感じ方は依然変わりない。夜が来て街が眠ると星はきれいなのである。街が眠らないということが都市化の大前提のように頭に浮かぶが、夜が来てかならず眠る街というのも趣深いのではないだろうか。繰り返しになるが、必ず眠るということは星がきれいなのである。

眠るまちは「眠る」と形容されるようにベッドふとんに入りよく眠るにふさわしい。夜がおとずれてしっかり暗いと自然と眠りに誘われる。よく眠れるというだけで街としての魅力がより一層高まるのではないか。

よく眠り朝が来て、太陽が昇り日差しを浴びる。ここからは晴れの国 おかやま の本領発揮である。これは朝を愉しむということにもつながる。これまた趣深い。

逆説的ではあるが、夜しっかり暗いと「灯り」の大切さが際立つ。家々からこぼれるほんのりとした灯りが安心感とともに心に響く。人の存在感を感じるというか、灯りによって人の生活は豊かになったんだとあらためて感じる。

概していえば眠らない街とはその最たるもので、眠るまちでは 眠り と 灯り が共存できないものかと思いをめぐらす。