| think | 2008年12月28日(日)

増築か、増殖か。

text_Ken Ono

moBook - BOOKS selected by MODERN FIVE をスタートさせた。

「モダンファイブが選んだ本・モノ」と銘打って日本はもちろん世界からセレクトしていくとタイトルからして少々大それた感も否めないが、志は高くもって高過ぎるということはないのでその気持ちを維持して邁進したいと思います。

もとはモダンファイブ内のひとつのコーナー MODERN FIVE - shop としてTシャツのオリジナルデザインを手掛けていた。そしてかねてよりネクストレヴェルへと進化したいと次なる展開を模索し具現化に向けて動き出すこと一年足らず、ようやくスタートすることができた。

本またはモノを直感的に、より感覚的にチョイスして買うことはできないかとネットストアのコンセプトを立て、デザイン・システムの両面からアプローチした。ちょうど、そう... レコードやCDをジャケ買いするような。

そういえば昔よくジャケ買いしたなぁ...まだ僕が冒険野郎だったころ。ジャケ買いってよく考えたらすごいことで、中身もわからずにその顔であるジャケットのファーストインプレッションだけで買おうっていうんだからホント冒険だよね。

アタリもあれば当然ハズレもあり時には期待以上の飛躍も待っている。だから無茶なようで案外理にかなっている。だってヒトと同じように中身がすべて凝縮されて表情としてその顔に表れ出ているはずだから。

moBook ではできるだけ装飾的なデザインを排し、主役の顔が際立つように心掛けた。これは今までのモダンファイブのデザイン活動において一貫しているが、それをさらに推し進めたものと考えている。

システムと一体となって機能美を追求し、できるだけ無機質に無感情に徹することで、逆に本題となる顔や言葉が一層際立つのではないかと思う。

また moBook は MODERN FIVE の正統進化と捉え、新たな機能・新たな規格を導入しつつも従来のデザインコンセプトを維持している。これは原初のデザインコンセプトの持続可能性を信じているからである。このことをデザインの増築と呼ぶか、はたまた増殖と呼ぶか、本来デザインにはそれだけの包容力があると思っている。

moBook という十分な深さを持った器ができ、これからはその器に何を盛り付けようかというところ。初期衝動を忘れずに志を高く持って積み重ねていきたいと思います。

| trip | 2008年7月29日(火)

概念である。

text_Ken Ono

オランダの都市 ロッテルダム を訪れた。

オランダは世界に名だたる建築家を多く輩出し、またその多くが集まる街としてロッテルダムは有名である。駅に降り立つともしかしてレム・コールハースとニアミスするかもという淡い幻想もそんなことあるわけもなく、いたって近代的な都市の印象が眼前にひろがった。

アムステルダムは古い街並と新しいものがハイブリッドに同居する観光にもニューカルチャーに触れるにも適した街であるが、ロッテルダムは近代都市への実験とか挑戦を感じることができる。

ロッテルダムを訪れた目的として、街の空気感を知りたいというのはもちろんのこと、オランダ建築のお膝元でぜひ行ってみたい建築があった。それはレム・コールハース率いる OMA による美術館 クンストハル である。

その前にどちらを先にするか迷いながらもルート的にご近所の NAi(オランダ建築美術館)へ立ち寄ることにした。たくさんの建築スタディ案の企画展示に興味・興奮しながらも NAi そのものの整然とした建築空間に落ち着きを感じていた。

そのあとお待ちかねのクンストハル。期待値が上がりすぎていたせいか、また NAi の後ということもあってかファーストインプレッションはなんかこう胸のあたりがザワッとするような雑然とした印象であった。とにかくビッグな未知のスケール感がそれに拍車をかけた。僕の小さい体がさらに小さくなったような。

一巡してクンストハルカフェで休憩するまでその困惑は続いた。休憩しながら周囲を見渡し見上げたとき困惑がインパクトへと変わっていった。

「建築の空間に求めるもの、それは概念性である」

旅のお伴にと選んだ本「安藤忠雄の都市彷徨」の一節がこのとき強く頭のなかに甦った。クンストハルを成り立たせている概念性が一気に僕のなかに入り込んできた。レム・コールハースのスケッチをみるとさらなる衝撃でおもわず概念性がスゴイと唸った。

本を読み、建物探訪する。どちらも偶然のタイミングであったが、かえってそれが忘れられない体験へと変わった。

僕は、ホームページづくりにおいて、また他のデザイン活動において概念性に特に重きを置いて大切にしてきたつもりである。しかし今回の体験は、概念性へのさらなる追求を自らに課す使命感に似た思いにいたる貴重な出来事となった。

ただひとつ残念なこともある。クンストハルができるまでを追ったクンストハル本をどうして手に入れず帰ってしまったのか。後になってここまでの衝撃を受けるとは思ってもみなかったからだろう。まぁ、心を残すぐらいのほうがいいのかも。また行ってみたいと思える。

| trip | 2008年5月22日(木)

僕が見たオランダ。

text_Ken Ono

一昨年春、初の渡蘭、オランダへ行ってみた。ワイフとともに。ワイフ、念願のオランダに不安よりも期待数十倍で興奮冷めやらぬ様子。

あれから2年、僕はこの1回のオランダ体験と、その後数回のワイフ一人旅オランダ体験談でオランダという国がずいぶん身近になった。

電車の乗り方からスーパーの買い物、オランダ語の日常会話まで生活面から細かくアプローチするワイフと僕とでは経験値の差からずいぶんオランダの捉え方・感じ方が変わってしまった。ただ、オランダの建築・デザインにひどく共感しているという点では変わりない。

僕の見たオランダは美しかった。

しかしそれはピカピカきらきらとしたものではなく、完璧な佇まいというよりは未完の美といった感じである。

旅をすることで、外国に行くことで日本の良さや外国の優れているところを発見・再発見するとよく聞くが、オランダの旅もまたそうであったといえる。

まず日本のモノ、物事に対する完成度の高さ、精度の高さ、完璧を求める姿勢にいまさらながら驚く。社会インフラ・建築・デザイン、どれをとってみても上手くまとまっていて偏差値も高い。しかし反面、これはそれ以外のものを受け入れにくい環境を生んでいるともいえる。

一方、オランダでは日本とは違う心地よさ快適さの求め方を感じた。そのことを顕著に感じたのがアムステルダムにあるステデリックミュージアム(市立近代美術館)で、現在、本館の改装中にともない仮設というカタチでその姿を見ることができる。

元は郵便局として使われていた建物に美術館の機能をすっぽりはめ込んでいて建物自体は近代建築とはいえ少々古い。仮設で、古くて、すっぽりとこのまま続けるとまるで良いところがなく終わりそうだが、これらの問題とも呼べる事態はデザインの手法を用いて見事に解決している。

ひとつは、仮設であるがゆえのいつでも更新可能な仮設的サインシステム。いつでも更新可能は、さらにだれでも更新可能な仕組みとなっていて、その仕組みの明快さはゆくはデザイナー不要論まで飛び出しそうな勢いである。

もうひとつは、ステデリックレッドとでもいいましょうか、オランダという国から導き出された赤色と斜め線をデザインの要素として、そのデザインは最小の構成で最大の効用を得るまるでスリーピースバンドのよう。

特にステデリックレッドと光の競演は今でも忘れられない。ガラス窓に貼られた赤色カラーシートに太陽光が降り注がれたとき、室内は目も眩むほどのレッドに包まれる。ものすごいインパクト。これも仮設的ではあるが恒久的に使えるアイデアでもある。

これらオランダでの体験は、いまだどれも完成度を語りがたい僕らの活動に勇気を与えてくれた。活動自体の初期衝動を大切にしていると肯定的に捉えることもできるが仮設的に進めて成長を期待する願望的側面も否めない。

しかし、仮設的デザインに未完の美を見出せないだろうか。ちょうど野球の一本足打法がモーションとモーションの間でひとつの完成形を見出しているように。

オランダでは生活の至るところにデザインの精神が浸透している。それは仮設的であり、草の根的なデザインのある生活であるように思う。漫画文化もあって日本人が総じて絵がうまいように、オランダの文化にはデザインが根付いているのではないだろうか。

どうやら僕はオランダの建築・デザインが気になるし、好きなようだ。あれから2年、ワイフに負けじとそろそろ僕もオランダの情報をアップデートしたい。

| think | 2008年3月22日(土)

進化か、深化か。

text_Ken Ono

モダンファイブもすこし変化していこうと思います。

これまでモダンファイブは、考えることについてひたすら考え続け、外に向かうというよりはむしろ内に向かい、より個に向かうことで確固たる個人の獲得をめざしてきたように思います。

それは、モダンというこわいぐらい何もない空間に降り立ったとき、またその両極に位置する情報の大海原に出たとき、しっかりと自らの意見を持ち自分自身というものを保つことができるのかという思いがあったからです。

その思いは変わらず今も続いていますが、もちろんただ考え続けていれば自らの意思・意見というものが簡単に生まれ溢れでてくれるというわけではありません。

本を読み、音楽を聴き、映画を観て、ときには旅をして、それらの体験がもととなりいつしか身体の一部となりカタチとなって自らの考えとして現れ出るように思います。

モダンファイブの次なる進化は、むしろ深化でしょうか、その体験のもと、主に「本」に焦点をあてて進めていきたいと考えています。

| think | 2008年2月25日(月)

表はウラで、裏はオモテ。

text_Ken Ono

ピアノ音楽教室のスタディ(試案)を通じて、またこれまでのウェブサイト制作を通じて思うことがあります。

スタディ:もしピアノ音楽教室のホームページをつくるなら
http://www.miharaono.com/study/piano/

ホームページは続いていきます。このピアノ音楽教室のスタディ(試案)に限らずホームページとは育むものと考えます。

そしてホームページを育むことは、他者との関係性を育み、なにより自らを育むことに置き換えられるといえます。

時間はかかります。もしかすると終わりはないのかもしれません。ホームページの完成は始まりともいえます。育むことで完成は何度も訪れ、続いていきます。

そのため、ホームページにおいて育むための土壌づくりをその役割をデザインとシステムが担っていると考えます。

今やその環境づくりのデザインとシステムは不可分で、そしてインターネット上に公開されるホームページと育むための更新システムは表裏一体の存在となっています。

ホームページの主体となる情報の発信者にとって、公開されるホームページと更新システムはどちらが内側でどちらが外側かその隔たりはおよそ皮膚のような感覚に近く、またそれをデザインとシステムを一体的に進めることで目指しています。

スポーツや運動で鍛えたカラダが姿かたちとなって表れ出るように、書道や茶道で研ぎすまされたココロが凛とした佇まいとして表れ出るように、育まれたホームページもまたそうであると信じています。