2011年10月16日(日)
第30回蒜山高原マラソン全国大会
- ハーフマラソン39才以下男子の部
- 記録 2時間05分00秒
久々に戻ってきた感がある、ここ蒜山に...
前回大会は拠所ない用事で参加できなかったが、あらためてここに来るとまるでホームのような感覚すら覚える。
この一年でマラソン大会は乱立と言わんばかりの充実ぶりで膨張の一途である。この蒜山マラソンもそのせいかランナー分散で適度なスケールに収まったようである。ランナーにはマラソン大会選び放題の時代到来ということなのか。
一年振りの蒜山は晴れていて絶好の走り日和、自然と気持ちも高揚してくる。この高揚感に似た緊張感はどこからやってくるのか。
お天気だからという理由だけではない。前回参加のハーフマラソンの部で自身初となる1時間50分台を記録したところも起因する。これは走り美にとって大きな進化であることは間違いないが、マラソンを始めた頃を思い起こせば伸びしろは十分過ぎるほどあった。
走り美としてのピークを迎えてしまったのか。それでも変化を続け、進化は日々止まることはないと自負している。あらためて現在の走りの状態を推し測るべくホームと呼べる蒜山マラソンは絶好の場所といえる。
果たして前回参加大会を超える走りを獲得できているのだろうか。
そんなドキドキとそれに挑戦するワクワクとが交錯しながら、すこし透き通るような気持ちでスタートの時を迎えた。
目標はもちろん前回大会の記録を上回ればとの意気込み、走り美ンタビューでもそれを思わず口にした... 溢れ出た。
スタートしてからはペースをつかむべく出過ぎず出なさ過ぎずで今日の自分を探っていた。というのも、2月に参加した吉備路マラソンでのスタート直後のこと、初参加の大会の空気にのまれてか、自分史上かつてないスタートダッシュとなったのである。これが後々影響して走り美本来の姿を失う結果となったのである。
その経験を踏まえて、今回のひとつのテーマとして我慢の走りが常に念頭にあった。高揚する気持ちを抑えながらの走り。走り美として最後まで力強い走りを心掛ける。
足は跳ねるように前に出す。左足がおりると右足が跳ね上がり、右足がおりれば左足がすぐさま跳ね上がる。重心を低く抑え、上半身の力を抜き、体の重さをできるだけ地面に伝えたい。そのことで足・腕、体全体にかかる負荷を軽減し、いつまでも走り美たる走りをゴールまで保ちたいのである。
しかし、この負荷の軽減と跳ねるように走るは僕のなかでいまだ同期が不完全な状態である。跳ねないときがしばしばである。それを補完すべく体重移動によって前への推進力を得たいと考えた。
それは胸位置の前後で、前に進むとブレーキ・維持を意識的に行うものである。胸を前に押し出すことで体のどの部位より前に進んだこととする。
胸が先に前に進んでいるものだから他の部位はそれについていこうと自ずと前に進むというわけだ。これは蒜山マラソンのコース特有のアップダウン登ったり下ったりの連続にも有効であった。
おかげで足への負担を軽減でき、前への推進力とすることができた。登るときは有効であることはなんとなく想像できたが、下りでも十分活用できたように思う。
力強く走り美としての走りを継続してゴールに向かうことができた。反面、跳ねるように脚を運ぶという新しい走りへの挑戦はうやむやとなり、体重移動でなんとかしようとする意識が安易とは思わないが自然と強まっていった。
だからなのだろうか、ゴールしたときの体にまだ残る走りの力強さと走り美たるゴールへの満足度とはうらはらに結果は気持ちほど充実したものではなかった。
満足度の高さと結果は必ずしも比例しないというわけか。
のぼり坂くだり坂への対応と、ゴールまで走り切るということを体に残せた感で得られた脳内の充足感。残念ながら失われた、新しい挑戦がこれまでにない結果を生む走りのビッグバン。
この蒜山マラソンに持ってきた挑戦は多くの成功もあったし失敗もあった。吉備路マラソンでの苦い経験が思わぬブレーキをかけていたようだ。
勢いにまかせて先行せず、耐えて我慢して最後まで走りを持続させることを第一義と考えていた。先行型の自分をチェンジしていこうという試みでもあったが...
走り終えて応援に来てくれた友人、ワイフとの結果に対する温度差は大きく、満足度の高さがそのまま結果に表れると思い込んでいる僕のゴール第一声は、虚しく遠くに聞こえたに違いない。
あらためて蒜山マラソンは現在の走りの状態を推し量るべくホームと呼べる場所といえる。2時間5分という記録は正しく走りの現状を写している。
最後に、ともに蒜山マラソンに参加したシェフ、シェフファミリー、応援に来てくれた友人、ワイフ... お疲れさまでした。そして、ありがとう。走り美はまた走っていきます。