ぼくたちはくらしきでデザインする。
わたしたちはくらしきをデザインする。
くらしきとぼくらはデザインする。
デザインくらしき... なんて銘打ってひとつここ倉敷からデザイン活動をはじめたいと思います。
そう思い立ったのもそもそもデザインってもっと身近な存在ではないだろうかという思いが以前からあって、でも「デザイン」と聞くとその言葉の力の前でどうしても敷居が高く感じて萎縮してしまいがち。
ではどうすればデザインを身近なものにできるのだろう。ひとことでデザインといってもその意味その守備範囲は深くて広く、確かに途方もない。
なにをもってデザインとするか。その感性、表現方法、また捉え方はさまざまで人ひとりひとり個人差があり、その心理にまで到達することはおよそ不可能である。
ただひとたびデザイン界の重鎮にお出ましいただいたならば一刀両断、共有の価値観がそこに生まれることもあるだろう。
だからデザインとは伝達方法の歴史の積み重ねであると同時に個人レベルではいまだ自由が多く残されているといえる。
歴史に培われた制約はあるにせよデザインの自由を大いに謳歌すべきである。まずはぼくもここ倉敷でデザインの自由を享受したい。また、なによりデザインをつづけることで自然とデザインが身近になってくれないかと願っている。
倉敷は、東京や都市圏に比べるとおそらくいまだデザイン荒野で草木は根付くのかと懐疑的なところもある。
しかし、だからこそデザインはここにも根付いていると個人レベルの小さな点にはすぎないが声をあげること、いやデザインを用いて表現することに意義があるのではないかと思う。
ぼくは、現在活動している拠点が偶然にも倉敷から神戸・大阪方面または広島方面への分岐点となる交差点に面している。
残念ながら2階という弱点もあるが市内また市外の人が赤信号の停車時間にふと外を見上げたとき、あっ、くらしきは... デザインなのかぁ... なんて瞬間が生まれたらこの草の根的なデザイン活動も少しは根を張るように思う。