| architecture | 2016年4月27日(水)
第一歩。
text_Ken Ono
小高い山のうえ、築百年を超える民家に住みはじめて早3年。古いものから学ぶ目新しい毎日は飽きることなく楽しい。
家のなかを住みやすく整えていくのと同時に、草木が伸び放題の荒れた庭や畑も少しずつ手をかけている。いつの間にか集めた木の枝は山のようになり、その山は点在するようになった。
これらをスッキリさせないことには次には進めないと思い、いつかはいつかはと思っていたことをやることにした。
今までは母と叔母さんがこうなると出てきては軽々と焼却してくれていたのだが、農家でならした強靭な体も高齢でなかなかといった感じだ。
日常的に焼却できる装置がいるだろう。そう思っていると裏庭に山のように積まれているレンガを見つけた。古い家には住むための道具が探せば備わっているのだろうか。ご先祖様に感謝しながらこれを使うことにした。
円形に穴を掘り、ならし、そこにレンガを運び、円に沿って積んだ。焼却するときに問題となるのがたまに吹く強い風である。この風から守るため円筒状に積み上げた。
すでに使い古されたレンガがもともとそこにあったかのようで、なかなかイイ。これまで家の修繕といっても壁を塗ったり、カーテンを直したり、マスキングテープを貼ったりと表層的な部分に留まっていた。
その平面的な行為から、ただ積んだだけとはいえ地面から建つという建築的行為に歩みを進められたのではないかと感じた。原始の時代に思いを馳せながら。
| house | 2015年7月15日(水)
パーンとなってふわ〜。
text_Ken Ono
ひょんなキッカケでおよそ十年過ごした事務所を出ることになった。まだ寒さが残るある日、いつも通りにドアを開けるとなんだか臭いがする。秋頃だと近くに田んぼがあるので風に乗って臭いが部屋に溜まることがあった。
だからなにげにそんな感じだろうと窓を開けようとすると、えっ、なにこれ、液体、油... なんだろうと異変にようやく気づいた。どうやらブレーカーに付属しているパーツがたいへんなことになっている。おそらくこれがパーンとなってふわ〜となったのだろう。
オーマイゴッド、おてんとさまのお告げか、これを機にここを出ようと決めた。大都会、倉敷の笹沖を離れ、新たな出発の地はいずこに... それに迷うことはなかった。
倉敷の北の端、総社との境にある「浅原」桃の生産地として有名である。ここに2年前引越してきた。築百年以上の建物で祖父母が住んでいた家だ。今は倉敷と総社を結ぶ道ができてすっかり便利になった。それでも家にたどり着こうと思うと最後は道なき道を行く感じである。
自宅が事務所となり、いまだ使うに持て余していたこの家が生きいきとしてきたように思う。思い起こせば祖父が健在の頃、こんな山のうえに仕事場とかお店とかっていいよなと直感的に思っていたことがある。それが現実のものとなるとは、原点回帰というかようやくその頃の自分に追いついたというか。
ただ、外に出るというより内にこもりがちな僕が、仕事場を兼ねるとなるとますますこもってしまいそうで気になっていた。ところが意外や意外、移動距離ほぼゼロでも今までよりも自由になれた気がする。
それは家と環境との関係が大きく影響しているように思う。家の中ではパソコンに向かっていても、思い立ったらすぐ外に出て草を刈り、木を切る。ITと自然がシームレスに存在しているのである。どうやらこれが性に合っているようだ。
ひょんなきっかけでこうなったものの今ではよかったと思える。みなさん、もしお越しになられる際はご一報を!最後は道なき道を行く感じなもので。